更新日 2009/01/03 13:12


  

大阪府立三島高等学校
ラグビーフットボールクラブ
OB・OG会

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三島ラグビー5周年記念誌(昭和50年3月31日刊行)より転載


  5年目の反省

初代三島高校長 中島直巳

 狭いグラウンドで数人がラグビーボールを蹴り出してから早いもので5年が経ってしまった。
 1年目、2年目とどうやら形ができできて、この分なら後数年もすれば、一寸したチームになるであろうと期待していた矢先、退部者が続出して、元の木阿弥になってしまった。
 大部分のものが初めてラグビーなるものをやるのであるから技術的にも、チーム作りでも、もっと協力してやるのかと思ったら、各々に個性が強くて、噛みあわない。俺が---俺が---の意識が強く、ひとつのことについて、自分と同じ感覚を持たないと妥協できない結果である。15人のスポーツは他のスポーツでもあまり無い。それだけに、一層、自己を滅しなければならぬ場合が多いが、そこにラグビーの良さを感じ取らねばラグビーをする値打ちは無い。
 黙々として自己の持ち場に精進するとともに、互いに理解し合うときはじめてチームゲームは成立する。
 そんなメンバーが集まったとき、三島のラグビーは発展し強くもなるであろう。
 また、私も本当の力添えができると思う。


  三高ラグビー創設期における対立とその昇華

初代主将 若林 昇

 ジャージを来てグラウンドに出ることが、戦場に出かけるがごとくに、そして、そのグラウンドが、戦場のごとくに。こんな風に感じた時期があったのではと思うのは私だけだろうか。
 ラグビー部を何とか強くしようとする部員たちの熱意と個性が、常に激しくぶつかったゆえんである。
毎日のように、論争、対立が続く時期もあった。もはやそこには和やかなムードなど無かった。反面、他のクラブ(サークル)にみられるような馴れ合ったムードもまったく無かった。
 今考えてみると、厳しさに通じるまでの論争対立のなかで、本当の意味でのふれあいをお互いに感じていたのではないだろうか。
 練習内容、練習量、部員数とその出席率、あるいはクラブにおける”誇り”等においては他のクラブを寄せ付けないラグビー部!
 それは対立がもたらした厳しさゆえではないだろうか。  ”三高ファイト V V V V oh!”


  三島高校ラグビー部でFBをやる人へ

2期生 原谷 真

 私は、


  自主的練習参加

2期生 津田正人

 入学した当初の個人懇談で良いスタッフがいるから三島のラグビー部は強くなるというのを聞いた。
 それからもう4年が過ぎようとしているが、その間、言葉のような長足ではないにせよ、きわめてゆっくり一歩後退二歩前進的に強くなってきていると思う。
 惜しむらくは、部員数が少ないということか、少数ではだめだということではない。適度の増加は、適度の競争を生み、進歩は必然となる。
 5歳になる三島ラグビー部は、幸か不幸か、いまだ現在、未来を拘束するような過失は存在しないので、その将来は、

 


  ラグビー 万歳!

4期生 林昇太郎

 一週間ほど着ていた

 


  ラグビー

5期生 中川恒男

 この一年

 


 

  三島高校ラグビーと私

自称後援会 橋本生

 泥だらけの


  ラグビーで辛かったこと、楽しかったこと

2期生 佐藤佳克

 何が辛かったと



大阪府立三島高等学校ラグビーフットボールクラブOB会


mishima_rugby_ob@yahoo.co.jp